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いとしきアラカン

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昔のばあちゃん 今のばあちゃん

ありのままの不完全な現実を、自然の流れとして、淡々と受け入れたいと思っている私は、昔のばあちゃん達の言葉の知恵の深さに、やっと気付くようになりました。まあ、昔のばあちゃんとか、今のばあちゃんとか言っても、あくまで、私の経験した方々のみで感じた事ですので、ひとくくりに比較できませんが、その範囲で感じた事を記載させて下さいね。

<◎昔のばあちゃん>                 

◎相手の存在そのものにリスペクトできる。               

◎「おら、ちょうどでなくてもいいのわ~歳だもの~」と不完全をありのままに自然の流れとして受け入れる。

◎知恵の深さ。

◎違いを認め、共に生きようとする、共生の心。

◎野菊が枯れるように、諸行無常を、受け入れ許し、自然の流れを尊重する。

◎「おら 何でも、いいのわ~」(*究極のすごい言葉です。すべての事に長短があるので、すべてを受け入れて、こだわりを捨てた境地に入らなければ、言えない言葉だと、思います。)

<☆今のばあちゃん>

☆「成果があれば」の条件付きで、相手をリスペクトする。

☆完璧主義で、完璧な状態のみが優れているとの価値観なので、不完全な状態を受け入れずに戦う。

☆知識の豊富さ。

☆同質の能力にのみ価値があるように思い、それに向かって努力を重ね、その努力をしない人を認めない。競争の心。

☆自然の流れを、なんとか、くい止めようと無理をする。


*個人差があるので、いちがいには、くくれませんが、大ざっぱに比較すると、昔のばちゃんは
生きとし生けるものすべてに、命の魂が宿っていて、その自然と共に生きようとする東洋的感性が生き方のベースとしてあり、「諸行無常」を認める仏教的感性に裏打ちされた考え方のように思う。
それに対して、現代のばあちゃんは、合理的で、人間の力で、自然の流れを支配しようとか、成果をあげて勝ち取ろうとする西洋的感性を感じる。   例えば、「若く見えて元気な事のみが素晴らしい!!人間は前向きに生きる事が素晴らしい!!」という、1種類だけに価値をみいだすので、アンチエイジングに、必死になり、なんとか、それに近づくこうと、ともかく努力するようになる。「とにかく、若くいなくちゃ!!とにかく趣味をもたなくちゃ!!旅行もしなくちゃ!!そうしなければ同年代の落ちこぼれ組になってしまう!!」とあせり競争しまくる。結果的に若づくりのばあちゃんがあふれる。自由に歳に縛られずに、楽しくオシャレできる世の中になって、それは、とても素晴らしいとは思います。でも、心のかたすみでは、こうも思うのです。昔のばあちゃんは、顔もしわだらけで、服装も年配向きの和服等でしたが、それにもかかわらず、とても魅力がありました。無理のないその年代でしか出せない味わいというか、本物の魅力でした。心の深さや豊かさがにじみ出る、内面からの魅力が、子供の私にも分かる程でした。所詮、若づくりしたところでそれはフェイクで、旬の娘さんたちに、かなうはずもありません。その年代でしか醸し出されない旬の魅力こそが、本物なのでしょうね。
私は、昔のばあちゃんにも、今のばあちゃんにもなりきれませんが、私の好きな作家の曽野綾子さんの著書「完本 戒老録」(祥伝社)の中からの次の言葉を胸に刻んで、老いを自然の流れとして受け入れさりげなくサラッと淡々と、お年頃と、おつきあいしていけたらなと、思っています。

◎「悪あがきをしない自然さがあれば、無言のうちに、そこに威厳を感じるものなのである。」

◎「与えられることをでなく、与えることを願う。」

◎「老人が、慎ましく堂々と老いを受けとめていさえすれば、誰も敬服するものである。」

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by itosikiarakan | 2016-08-20 16:16 | 私のこと