いとしきアラカン

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がんばらない

私は影響されやすい性格で、今の気分は「がんばらない」なのです。なぜかというと、図書館から借りた鎌田實さんの「がんばらない」という本を読んでいるところだからです。子供のころから、「根性出してがんばりなさい。」「完璧に一歩でも近付くように、常に成長を目指してがんばりなさい。」「結果を出して勝てるようがんばりなさい。」と、がんばらないと罪悪感をもたせるような世間の価値感のなかで、ベビーブームの私達は育ちました。そのあげく、退職した後の生き方まで、望ましい生き方は、年をとっても、常に趣味や人との交流をもって成長し続けなければならないと、まるで、対外的に積極的に生きない退職者は、劣っているダメな人といわんばかりのご指導と風潮です。昔のご隠居さんは、一生懸命仕事と子育ての役目をはたした後は、のんびりと過ごすことが許されました。退職者の集いで、辛いのは、「退職した後、何しているの?」という質問です。
一番尊敬されるのは、「趣味を極めて、皆さんに指導している。」とか、「ボランティアしてます。」「再就職しています。」とか、「海外旅行を楽しんでいます。」などです。まちがっても「おさんどんと、あとはTVを見ています。」などと事実をそのまま言ったら、気のせいか、見下される雰囲気になります。私も退職後は、望ましい退職者のライフスタイルをまねして、いろいろ交流やらイヴェントやらを、ひととうりやってみました。結論は「私は特別なことは、全部ストレスになる。」という事です。普通の日々を気持ちこめてのんびり過ごすのが私の器に合っているのです。「シンプル イズ ベスト!!  すべて、軽く! 薄く! シンプルに!」「普通の日々に感謝して気持ちこめて楽しもう!」という結論になりました。たとえ、世間的に、格好わるくても、認められなくても、余生は、本音に正直に生きる決心がつきました。

  ◎犬だって、シニアになれば体力に応じて散歩を以前ほどせがまないのが、自然な姿です。

  ◎葉っぱだって、秋になれば枯れるのが自然な姿です。

  ◎接待も、がんばりすぎず、シンプルにあり合わせのもので、気持ちだけはこめてが、一番うれしいです。

  ◎付き合いも、淡くが、永くつきあえます。

  ◎否定系より、肯定系!

  ◎ねばならないからの解放!  それより、本音に正直に!  私には普通がいちばん!

  ◎ありのままで、がんばらない!!

  ◎だまし、だまし、あやし、あやし、おもしろくもなき世の中をおもしろく!!
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by itosikiarakan | 2013-10-31 15:33 | 私のこと

今度といつか

今度といつか」は、社交辞令と言われています。これは、麗しく会話を締めくくるために、実際本音では、相手と会おうという気などないくせに、心にもない言葉で、「今度、いつか会いましょう。」といって別れ際に相手に言うことです。純朴な相手は、それを本気にして、忠犬ハチ公のように言葉を信じて、実行に及ぼうと努力します。結果、「今度といつか」は本心でなかった事を思い知らされ、期待していただけに裏切られたような心の傷を負います。社交辞令かどうかを見抜くポイントは、具体的な日時で誘ってくるかどうかだと思います。私も大人として、心が成長しきれなかったせいか、ずいぶん痛い目にもあいました。でも、今になると、そういうことも理解できないわけではありません。どんな人も、生きるのに精一杯なのです。誰でも、これ以上負担を背負いたくはないのです。よっぽど避けることのできないことならばやらざるをえませんが、必然性がなければこれ以上負担になることを避けたくなるのも、もっともです。人間といっても、自然界の生き物です。そこには、無意識のうちに、力関係、序列、今後の利害関係を考慮して優先順位が、自然淘汰的に決まってくると思います。何か、どうしてもという必然的な理由が無ければ、なかなか、ただ人と会うのはよっぽど、人間的魅力を持っている人でなければ難しいのではないでしょうか。親族さえも、セレモニーやイベントという行事という必然的な理由にからめてこそ集まれるのではないでしょうか。昔の人もそういう理由付けがなければ、なかなか集まれないということを知っていて行事を考えたのかもしれません。対人関係ではないのですが、大掃除などという行事も、人間は、放っておけば、どこまでも、めんどうな場所の掃除をしないということで、行事として定着させたのかもしれません。こう考えると行事も、あながち意味の無い虚礼だとは、言いきれない深い意味があるのかもしれません。023.gif
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◎行事も、絆をつなぐことや、やらなければいけないことをやるきっかけになるので、一見無駄にみえやすくても意味があるのかもしれません。同じようなことですが、形だけでももっていれば、全然もっていないよりは精神安定剤としての役目があるので、いちがいに意味がないとは、いいきれません。
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by itosikiarakan | 2013-10-08 14:45 | 私のこと

家庭料理は不完全だから安らぐ。

お料理やさんで、たまに、お食事をいただきます。色といい、味といい、盛り付けといい、さすが、プロ!!いつでも完璧です。これが、仕事です。感心するのみです。でも、なぜか、この完璧なお料理を、毎日食べたいとは思いません。でも、家庭で、家族が家族のために、真心をこめて作ってくれたお料理は、たとえ不完全なできばえでも、いや、不完全だからこそ、愛情を感じるし、自然だし(成功だけでは不自然)、いとしいし安らげます。不完全って、ほんと必要要素です。完全ばかりの「どうだ!!」というようなお料理ばかりでは、息苦しくなるばかりです。これって、アラカンの料理苦手の言いわけかも~!!
でも、「家庭料理は、真心こもっていればいいよ!!」っていう風にしていただけませんか~!!
お料理やさんと比べないでくれませんか~!!
完璧な味を、お求めならば、お店へ、どうぞ~!!(*あくまで、一般論です。)
やっぱり、アラカンの開き直りと努力放棄の言いわけでした~(*ごめんなさい。)
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プロであれば、完璧な料理をださなければいけませんね。でも、しろうとの方の料理まで完璧でなければだせないというのでは、苦しすぎます。たとえば、友達に料理をプレゼントするのにも、完璧でなければだせないというのでは恐ろしすぎます。その友達が、たとえ不器用な料理でも、「気持ちがありがたいのだから、真心こもっていればいいんだよ~!!私の事思ってくれてありがとう!!」という価値感の優しい人だったら嬉しいです。甘えすぎですか?
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by itosikiarakan | 2013-10-03 16:19 | 私のこと

一流の方の包容力(福山さんとマギーさん)

近ごろ、その道で極められた方々には、共通した特色があることに気が付きました。それは、余裕というか包容力があるという点です。しかし、私の場合、そんな、一流人と話す機会などありませんので、もちろんテレビを通しての感想です。

◎<福山雅治さん>=日曜の朝、「ぼくらの時代」という番組で、おっしゃっていたことは、「自分は、すべて受けきる!!」と言いきっておられました。
たとえば、有名人である福山さんが、外でお食事すると、必ずと言っていいほどお店の方が特別にサービスの、お皿を加えて下さるそうです。福山さんは、内心気が、重いかもしれません。お腹がいっぱいかもしれません。福山さんも最初は断ったりしていたそうですが、やがて、そんな自分の気持ちよりも、お店の方の気持ちを 考えて、「お店の方にとって、その一皿サービスが、たった一つの感謝の表現方法なんだろう。断られたら、お店の方の心もへこむだろう。」と思って、それからは、断ったり、否定したりしないで、すべて気持ちを受けきるようようになったそうです。なんと広いのでしょう。なんて強いのでしょう。(*アラカンミーハーでした。)
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◎<マギー司郎さん>=マジシャンのマギー司郎さんが、NHKTVBSで、小学生に自分の弱点をトークに織り込みながら、マジックを発表させるという公開授業をやっておられました。皆、弱点をもっていても、それを隠して良いところだけ背伸びして見せているのではないでしょうか。なぜなら、世の中の価値感は、強い、速い、賢い、美しい等完璧なものだけが、認められるように感じられるので、自分の不完全な弱点をさらしたら、バカにされるのでは、相手にされなくなるのではという、恐怖があるからです。でも、いくら、自分の弱点を背伸びして隠しても、周囲からは見抜かれているのだし、空気も重苦しく窮屈になってきます。それならば、いっそ肩の力を抜いて本音で、自分の弱点をカミングアウトしたらという提案です。マギーさんも、「弱点も表現してしまえば、弱点ではなくなる。そして、一歩強くなれる。」と、おっしゃいます。皆、誰でも弱点があるのでほっとするし、弱さを抱えた人間に対する慈しみの心で、誰でも弱点はあるけれど、弱点の種類が各々違うだけだから、相手の弱点をバカにしてはいけないなという気付きも育まれると思います。また、マギーさんは、別の場面で、人間に必要なのは、強さよりも、弱さであるともおっしゃっておられます。一見、逆説的にもとられがちですが、成熟した言葉だと思います。
世の啓発本では、「プラス言葉のみを使いましょう。」とも言われておりますが、弱点をそのままさらすのが怖い場合は、弱点をユーモアでくるんで、開き直りの、カラッとしたプラスの雰囲気で表現すれば、OK!!では
ないでしょうか。たとえば、自分の弱点を、うじうじ暗く表現すると、周りの空気をどんよりした雰囲気にしてしまいますが、同じ自分の弱点でも、カラッとしたユーモアに包んで開き直り風に、「私はこうですけれど、それが何か?」というふうに自分の存在を堂々と自信をもって表現すれば、強く明るいオーラを周りに与えて「人間は弱点があっても、堂々と不完全をはじることなく生きて良いのだ!!」と勇気付ける雰囲気を振りまくことになると思います。  時と場合に応じて、本音トークは必要ですね。弱さごと慈しむマギーさん、なんて優しいのでしょう。(*やっぱり、アラカンミーハーでした。)
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一般的に、優れている点の多い方は、傲慢にならず、むしろ謙虚な表現をしたほうが良い感じを周りに与えますし、逆に弱点の多い方は、卑屈にならず、むしろ堂々と明るくふるまったほうが良い感じを周りに与えると思います。足りないものを補ったほうがバランスがとれて、美しく快い空気になると思うのですが。。。
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by itosikiarakan | 2013-10-03 11:40 | 私のこと

サービスって、何?

サービスって、何でしょう? やっぱり、人は、周りを喜ばせてなんぼだと思うとき、(どのくらい相手のためにサービスできたのか?)以前に述べさせていただいた、「◎工面、融通、理屈は言わずに、おたがいさま!!」に加えて、「◎自分の正論を優先させるのではなく、相手のニーズを優先させてこそサービスになる。」のだと思います。独善を、押しつけるのではなく、相手のニーズは何であるかをよく観察して、その相手のニーズに応えてこそ、相手を喜ばせるサービスになると思います。これは、がちがちの正論にプラスされる、とてもニュアンスのある成熟した味わいだと思います。だって誰でも、ちょっとは、甘えたいじゃないですか。。。012.gif
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by itosikiarakan | 2013-10-03 11:02 | 私のこと