いとしきアラカン

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わざわざより、たまたま

義理や義務から来る「わざわざ」より、自然な流れの真心(相手を喜ばせたい気持ち)から来る「たまたま」のほうが、本当の愛に近いナチュラルさがあると思います。 言葉では、よく周りの人々に生かされているとか言いますが、それが本心かどうかは、◎いかに周りをリスペクトして◎相手の話を受け入れて◎信じてまかせられるかだと思います。それができないと、周りを信じず疑心暗鬼の心となり、頼れるのは自分のみとなるので●周りを否定し●相手の話を受け入れず●信じてまかせることができない●義理や義務で補おうとします。でもそのやり方では、無理がきて、周りも愛や真心でないものを与えられても、「ホシイノハ、ソレジャナイ!!」となるでしょう。*もちろん、仕事の場合は、真心と共に責任と義務は当然必要ですが。
難しいことですが、周りを否定せず認めて心の窓を開き、とにかく相手の話をよく聞いて気持ちを受け入れて笑顔で信じてまかせて感謝する事が、一番相手の欲しい「シゼンナナガレノマゴコロ」につながると思います。それ以外には、何も要りません。お返しも、プレゼントの品も、お金も。
「わざわざ」は、できるだけ止めて、これからは、自然の流れから来る「たまたま」を大切にしたいと思います。
それから、生まれつきの与えられた能力内で、自分なりに、できるだけ「真心をこめて」暮らしたいなと思っています。たとえ、その結果、他の人より上手にできていなくても、自分のなかで、「ソノトキ、マゴコロヲコメタカ、ドウカ」だけを問題にしてゆきたいと思います。もちろん努力と工夫はしますが、後は生まれつきの与えられた能力・勘の問題だと割り切ることも必要だと思います。いつまでも、自分を責めてもストレスになりますので。(*生徒は、私の手作りクッキーを、食べる前に「真心さえ、こもっていれば良いんだよ!!」と励ましてくれました。 自信のない私にとって、この言葉が黄金の杖のように一生の支えとなっております。)053.gif
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by itosikiarakan | 2013-04-30 15:22 | 私のこと

現実は「東京家族」だけど

今まで、ずいぶん人生の苦い部分を、「東京家族」をもとに述べさせていただきました。でも、だからと言って悲観しているわけではないのです。では、どうすれば良いのかを、あくまで自分の場合で考えてみました。

◎正論=こうあるべきにとらわれない。こうしたら、こうなるべきとは、なかなかならない。いろいろな事情でそうならないことのほうが多い。いろんな考えがあり、ケースバイケースなので、相手に求めない。正論を自分が実践するのは良いが、それを、相手に求めないこと。

◎相手の欠点を、治そうとそちらにばかり目を向けず、「世間が何と言おうと、あなたにはこういう良い点があるのを、ちゃーんとわかっているよ!!」という良い点に目を向ける応援メーセージを発信するのこそが、家族の役目だと思う。

◎すべての、ありのままを受け入れて、相手を尊重して、おっとりと待つ。信じてまかせる。説教とは、「自分は正しい。あなたが間違っている。」という雰囲気のメッセージなので、相手を尊重することからは、逆の行為となる。相手を変えようと自ら発信しない。相手から発信してきた時のみ、感じ良くありのままを確実に、しっかりと受け止める。

◎すべての治療薬は愛しかない。愛とは、苦さも欠点もまるごと受け入れること。愛の代りに義理や金銭を与えられても、「ホシイノハ、ソレジャナイ!!」となる。ありのままを、受け入れられて、ありのままに自然でいられれば、それは愛なので、生き物すべての必須ビタミンとなる。

◎とにかく、ありのままの受け入れに徹して、最終的には、風にうなずく自然な野の花や春風のような心になりたい。「あー今のありのままの気持ちは、そうなんだね。」と、ひとまず受け入れて、その後浄化するような人に。。。

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by itosikiarakan | 2013-04-25 20:14 | 私のこと

現実は「東京家族」  その4

◎これも、「東京家族」と、同じパターンの実話です。(*以前、職場の同僚から聞いた。)
  
  
  『あるお爺さんに、3人の男孫がおりました。お爺さんは、孫達に、車を買 ってあげるの              が夢でした。
長男孫に、念願の車をプレゼントしました。
次は、二男孫に、長男孫と平等に同じように車をプレゼントしました。
もう、お爺さんの年金も貯金も、残り少なくなってきました。でも3人平等に同じレベルの車を買ってあ     げたかったお爺さんは、最後の力をふりしぼって、がんばって その次の三男孫にも車を買ってあげまし    た。
   しかし、3人の孫たちは、誰ひとりとして、お爺さんに「じいちゃん、ありがとう。じいちゃんを
          俺の車に乗せて、ドライブに連れていくからね。」とは言わなかったとさ。。。。。』
         
             
             

             *『カーチャン、何してる!!「オメダズ、ズンツァンサ、アリガドユッタガ!!ミンナデ
               ズンツァンバ、ドライブサツレデイガネクテネド!!とご指導、よろしく!!』


◎これも又、「東京家族」と、同じパターンの実話です。(*以前、私が浜の食堂で目撃した。)

   『あるお婆さんが、気を遣いながら、でも嬉しそうに19歳ぐらいの男孫と浜の食堂に入ってきました。
お婆さんは、孫に食堂で自分のホマチでおごりたかったのです。それが夢でした。 でも、きっとそれがあ     まり良い顔されなかったらしく、(*若い彼女なら喜んで行くのでしょうが、相手がお婆さんではあまり     気が進まなかったのかもしれません。)やっとこ、孫の機嫌とりとり今日がその夢実現にこぎ着けた日の    ようで した。  お婆さんは嬉しくて、気遣いながら、その19歳の男孫に、話かけます。でも、その男孫    は、ムスッとして、ロクな返事もせず、モクモクと不機嫌そうに、食事をかき込むばかりです。(*カッコワ    リー!!コノ孫!!    やれやれ。。。。。)


かように、人生は、期待どうりには、なかなかいかないものですね!!
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by itosikiarakan | 2013-04-24 15:52 | 和ごころ

現実は東京家族  その3

友情とか、時には親子の情でさえも、実際には生物の本音である、自分の当面の利害損得にかかわる時や、序列の力関係によって動いているのが現実だと思います。その現実にぶつかるまでの夢から覚めない間が、友情というレースの飾りで名付けられているのにすぎないのではないでしょうか。たまには、けなげに自然の掟に逆らって、自分の利害にかかわらずに友情を続けようとする場合もありますが、どうしても必然性が無いので無理があり継続しにくいと思います。(*なぜか、「けなげ」って美しいけど無理があるので、あやうさを感じて辛いのです。) 私も、利害損得抜きで心で繋がろうとして行動したことがありましたが、無邪気に信頼していた自分が甘かったと思い知らされて傷ついたことも何度かありました。自分にそれだけのものが無かったのですね。相手方にすれば、「なんで、今、過去の人と付き合わなくていけないか意味がわからない。」というところでしょう。「去る者、日々に疎し。」ですものね。。。その様な人間という生き物の本音をわかったうえで、それを責めるのではなく「そうだよね~。それが、人間の普通で自然な姿だよね~。」と笑って理解するおおらかで広い心の人になりたいです。そういう自分も含めた人間の欠点が見えても、そのうえで、受け入れられるオールOKの人になりたいです。欠点込みで受け入れてこそなんぼでしょう。完璧でなければ受け入れないのでは自分も周りも酸欠になりますよね。とにかく、あやしあやしでも、だましだましでも繋がって生きてゆきたいです。003.gif
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by itosikiarakan | 2013-04-11 17:06 | 私のこと

現実は「東京家族」  その2

東京家族で、老夫婦が、大人になった我が子から、ちょっと冷たく対応された時、おもわず、「あの子も、子供の時は、優しかったのにね~」という様なことを言います。このような反応は、親子関係に限らず他人同士の関係にも、ありがちです。昔の優しかったイメージを頼りに、声がけすると、期待とはうらはらの反応に、傷付くこともあります。あの季節だからこその必然で、美しく咲いた花だったのですね。それを、今の季節に、ぜひあの季節のように咲けと言われても無理があるのですね。例えはどうかと思いますが、安らかにお眠りになっているのに、むりやり起こされたのでは、ゾンビになってしまうのですね。あの季節の、無意識の利害・損得・力関係も潜在していた自然の流れで咲いた無理のない花だったのですね。単に気持ちだけで繋がろうとした自分が甘かったのですね。ある意味、自然界の生物としては、自然な流れでしょう。
     
      ◎「昔の光、今いずこ」
      ◎「思い出は、遠くにありて思うもの」

そう言えば、東京物語の主演女優の原節子さんも、昔の美しいイメージを壊さないために、鎌倉のほうにひっそりと暮らして、人前に姿を見せないということでした。 まあ、こういう考えと正反対の生き方をなさる方もいらしゃると思いますし、それはそれで素晴らしいことだと思います。
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by itosikiarakan | 2013-04-11 16:16 | 私のこと