人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いとしきアラカン

itosikiara.exblog.jp
ブログトップ

わざわざより、たまたま

義理や義務から来る「わざわざ」より、自然な流れの真心(相手を喜ばせたい気持ち)から来る「たまたま」のほうが、本当の愛に近いナチュラルさがあると思います。 言葉では、よく周りの人々に生かされているとか言いますが、それが本心かどうかは、◎いかに周りをリスペクトして◎相手の話を受け入れて◎信じてまかせられるかだと思います。それができないと、周りを信じず疑心暗鬼の心となり、頼れるのは自分のみとなるので●周りを否定し●相手の話を受け入れず●信じてまかせることができない●義理や義務で補おうとします。でもそのやり方では、無理がきて、周りも愛や真心でないものを与えられても、「ホシイノハ、ソレジャナイ!!」となるでしょう。*もちろん、仕事の場合は、真心と共に責任と義務は当然必要ですが。
難しいことですが、周りを否定せず認めて心の窓を開き、とにかく相手の話をよく聞いて気持ちを受け入れて笑顔で信じてまかせて感謝する事が、一番相手の欲しい「シゼンナナガレノマゴコロ」につながると思います。それ以外には、何も要りません。お返しも、プレゼントの品も、お金も。
「わざわざ」は、できるだけ止めて、これからは、自然の流れから来る「たまたま」を大切にしたいと思います。
それから、生まれつきの与えられた能力内で、自分なりに、できるだけ「真心をこめて」暮らしたいなと思っています。たとえ、その結果、他の人より上手にできていなくても、自分のなかで、「ソノトキ、マゴコロヲコメタカ、ドウカ」だけを問題にしてゆきたいと思います。もちろん努力と工夫はしますが、後は生まれつきの与えられた能力・勘の問題だと割り切ることも必要だと思います。いつまでも、自分を責めてもストレスになりますので。(*生徒は、私の手作りクッキーを、食べる前に「真心さえ、こもっていれば良いんだよ!!」と励ましてくれました。 自信のない私にとって、この言葉が黄金の杖のように一生の支えとなっております。)053.gif
わざわざより、たまたま_d0165579_15585017.jpg

by itosikiarakan | 2013-04-30 15:22 | 私のこと