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いとしきアラカン

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近ごろの、気持・実感として

<気持ちのこもっているものは、おいしい!!。>
「気持ちのこもっているものは、おいしい!!。」と、一般論として、言葉としては、もちろん知っていましたが、実感として、本当に思ったのは、何と近ごろなんです。
 母は、かなり料理が上手なほうで、おいしいのですが、これは、上手だからだろうと、ずっと思っていました。
それは、もちろん上手だからというのもありますが、それ以前に気持ちがこもっているからなのですね。そういえば、料理屋さんや、惣菜屋さんの料理は上手なのに、心に沁みる優しいおいしさとは、なっていませんものね。
 たとえ、インスタント料理でも、作る人の気持ちがこもっていれば、その優しさが、食べる人の心に沁みるなあと、実感しています。
 「ばあちゃんの手作り弁当」という、本当に素人のおばあちゃんたちが、作っている保存料無添加のお弁当をいただきましたが、特別とびきりこっている味ではなくて、平凡なおかずが、平凡な味付けで、あたりまえに入っていました。でも、ほっとしたのです。その特別でない、「どうだ!!」という自己主張のない、特別においしい訳でもない、オシャレでもない普通さに涙が出そうになりました。料理って、競争するものでもなく、比較するものでもなく、
自己主張するものでもなく、作る人の、ケバクナイ、素直な優しい気持ちがこもっていれば、相手の心に沁みるものですね。

<相手と過去は変えられない。変えられるのは、自分と未来だけ。>
 アラカンの年齢になると、もういろいろ否定やご指導をいただくのは辛くなってきます。「自分は学ぶことは、何もない」とか、傲慢な気持ちで言っているのではないのです。人間一生謙虚に学ぶべきだということも理解しているつもりです。傲慢どころか、逆に自分の能力もわかってきて程度も見えてきたからなのです。若い時は、未来も希望もあるし、自分の能力も努力すれば何とかなるかもと思っていた部分もあります。ですから、からかわれても、笑って
素直にご指導や辛言を、受け流す余裕がありました。もう、アラカンぐらいの年齢になると心
の底から、学びたいと思っている事に対するアドバイスは受け入れられますが、それ以外の部分でいろいろ言われるのは、いやなのです。ですから、親切心からでも、いろいろ正直に真面目に本当の事をアドバイスする相手とは、付き合いたくないのです。でも、私自身が仕事として、若い方にいろいろ道徳(恥ずかしながら)や常識を基本として押しつけてきたことが思い
だされます。当人が、心の底から求めていない限り変わらないものなのですね。変えようとしてはいけないのですね。与えられている事に充分満足と感謝して、「足るを知る。」ことが大事なのですね。それ以上はぜいたくというもので、その様な状況であるには、それが自然である様ななりゆきがあったからなのですね。多くを望まず、良いところを見て、イヤがることを
しないでしたね。自分を棚に上げて感謝知らずの欲張りアラカンでした。(恥ずかしながら
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by itosikiarakan | 2011-09-17 16:39 | 私のこと